銀河鉄道 (千代の亀酒造)愛媛県
享保初年(1716年)亀岡久平により創業。八代目、嘉秋(よしあき(明.38~昭.58))は、大正末期から昭和30年代末まで、特に戦前戦後米がなく1年に1樽という厳しい時代を歩んで来た。昭和30年代後半に蔵を解体した際に古い資料を焼却したため、充分な資料が残っていないのが残念であるが、明治ごろの売掛帳によると、3百石製造し地元のみならず、川船で長浜まで出し遠く九州まで出荷していたと記録が残っている。
江戸より三百年。いのちにこだわる酒づくり
昭和23年に合資会社となり、昭和35年内子町(旧五十崎町)に10軒あった地酒屋も、昭和45年には当社1軒になった。亀岡家は田園を広く持ち、あまり米で酒造りをしており、米づくりから酒造りまで一環して手がけていたために、米づくり(農業)に対する理解が深かったことが強みであったと思われる。昭和42年に九代目、徹(あきら(昭17年生))になり、それまでの酒造りに対して非常に批判的で「本物をつくるべきである」との強い意志から、昭和50年から純米吟醸酒の製造に取り組んだ。取り分け生酒に力を注ぎ、昭和56年に純米吟醸生酒、昭和60年に7年熟成酒「しずく酒」、昭和62年に「銀河鉄道」が生まれた。
自然を愛し、人を愛し、蒼い地球を考えた時、企業として果たす役割は、地域の快適環境の創造であり、地元の米・地元の水・地元の空気から醸し出す酒造り、「いのちにこだわる酒造り」にこだわり続けている。
本物の米づくりについては、五十崎の農家の皆さんと農協と協力して土づくりから無農薬米を収穫、稲木(いなき)にかけ自然乾燥した良質の酒米をつくることに全力をあげている。
昭和62年度から、製造の9割は特定名称酒であり、今後さらにふやし、一般市販酒についても、4割以上精白したものをつかい、酒の品質を上げ良いお酒を提供してゆきたい。
※蔵元HPより抜粋
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