- 1. 蔵でいちばん神聖な場所、麹室
- 2. 麹室での作業~引き込み~
- 3. 麹室での作業~種切り、床もみ
- 4. 麹室での作業~切り返し~
- 5. 麹室での作業~棚作業~
- 6. 麹の働き
- 7. 伝統蔵が守るもの
蔵でいちばん神聖な場所、麹室
古くより「1麹、2酛、3造り」といわれるように、麹造りは酒造りのなかで最も大切な作業の一つです。
それは、麹の出来によって原料の米がちゃんと分解するかが決まり、造られる酒の良し悪しに影響するから。
目に見えない微生物を繁殖させるため、麹室の衛生管理は重要です。
鳳凰美田の麹室は、清潔感溢れる素木造りの広い空間で、壁や天井、中央にある床も素木造り。
密閉性の高い重厚な扉は神聖な雰囲気を際立たせています。床には真っ白な布が敷かれ、蒸米が引き込まれるのを静かに待っています。
麹とは、蒸米に麹菌を生やしたもので、その製造は微生物の働きによる神秘的なもの。
かつて麹室は女人禁制とされていたとのこと。鳳凰美田とゆかりのある男体山のような神域の空気がここにはある。
伝統蔵での酒造りには、修験道に通じるものがあるのでしょうか。
麹の成育環境は高温多湿なので、麹室の中での作業はとても暑く厳しい重労働です。
かつての蔵人たちは上半身裸で作業することが多く、それで女人禁制になったというのが実際の理由かもしれません。
今では女性が麹造りをおこなう蔵もありますので、皆Tシャツを着て働く、時代にあった職場環境になっています。
麹室での作業~引き込み~
40℃程度に冷まされた蒸米は約15㎏毎に取り分けられ、予め35℃程度に暖められた麹室に運ばれます。
この工程は「引き込み」と呼ばれます。人力で運ぶ蔵人のステップは軽快そのもの。
蒸米は手作業で揉み崩され、床全体に広げられます。
麹室に配置された送風機によって、米の外側の水分を飛ばします。
次第に麹室の湿度はぐんぐん上昇し、麹が繁殖しやすい環境が整えられていきます。
また、気化熱による品温低下を防ぐためヒーターも合わせて稼動させるので麹室の中はとても蒸し暑い。
眼鏡のレンズが曇り、吸水による米の水分には麹室の湿度をしっかりあげるための分も含まれていたのだと実感します。
麹室での作業~種切り、床もみ
「種切り」では、床に広げた蒸米に麹の胞子である種もやしをまんべんなく植えつけます。
手作業で種もやしを蒸米に振り撒き、微粒な胞子が麹室を漂いながら沈降するのを待つ繊細な作業です。
二人の蔵人が床の対角に構え、小さな容器に入った種もやしを、目の細かい布などを通し、撒いていく。
静寂の中を種切りの音が一定のリズムで刻まれ、胞子が舞っている空気を乱さないように厳かに行われる光景は、まるで酒造りの神が降臨するのを待つ神事のようです。
種もやしが沈降すると、手作業で蒸米を揉みほぐす「床もみ」が行われます。
そして「種切り」と「床もみ」を数回繰り返した後、乾燥を防ぐため小山のように積み上げ、布で包み、麹菌の繁殖を待つのです。
麹菌はカビの一種。その発芽条件は湿度が97%以上、温度は35℃以上です。
繁殖には酸素が必要ですが、発芽に際しては微量のため、小山に積んでも酸欠になる心配はありません。
麹室での作業~切り返し~
麹菌の発芽が始まり、半日もすると小山の中にムラができるので、再度揉み崩して水分と品温を均一にし、改めて小山に積んで布を掛けます。
さらに半日ほどすると蒸米は固まりになるので、それを捌いて米粒をバラバラにします。
この作業は「切り返し」と呼ばれ、水分と品温を均一にし、本格的な麹菌の繁殖に備えるのです。
麹造りに適した「外硬内軟な米」はバラバラに捌き易く、蔵人は手触りで麹の状態を確認します。
この段階では、麹には大きな変化はみられず、蔵人の感覚による確認が重要となります。
酒造りは子育てのようで、この工程は、意思をうまく伝えられない乳飲み子を、手をかけて大切に見守り、育む、そんなイメージなのです。
麹室での作業~棚作業~
切り返しされた米は、棚作業に移ります。
この工程では繁殖が活発になるため、麹菌は多くの酸素を消費し、水と二酸化炭素と熱を発生します。
麹菌を健やかに繁殖させるためには、品温コントロールと酸素供給が大切になります。
発生する水分や二酸化炭素や熱を発散させながら品温低下や乾燥を防止するため、麹米は箱に小分けにするなどして、掛け布などを用いて繊細に扱います。
まるで育ち盛りの子供の服をこまめに替えて栄養をたくさんあげるような段階に当たります。
そうすることで麹はすくすくと生長し、外観も大きく変化していきます。
麹が育ってくると伸びた菌糸が肉眼でも確認でき、その様子は「ハゼ込み」と呼ばれます。
この段階になると、人が年を取ると風邪をひきやすくなるように、麹もストレスに弱くなります。ですから、一層デリケートに扱い、適切な環境を保つのです。
ほどなく、すっかり伸びた菌糸が米に絡み繭状になり、栗のような香りが出てくると麹は完成します。
鳳凰美田の麹室は、麹の生育段階に応じて環境の違ったいくつもの小部屋にわかれています。
この部屋の流れは一方通行で、決して逆流することはありません。まるで、途中で台無しにならないように緻密に計算されたドミノ仕掛けのように、慎重に進められるのです。
そして健やかに育った麹によって洗練された鳳凰美田が醸されるのです。
幸運にも出麹前の貴重な麹を食べさせて頂きました。米は白い菌糸に覆われ、栗のような香りがします。
上品な甘味があり香ばしい味わい。粘りがなく、さらっとした印象です。
大吟醸用の麹はもっと甘く、麹が甘いと香り高い酒が出来ると教えて頂きました。
麹の働き
麹には原料米のデンプンやタンパク質を分解する働きがあります。
特にデンプンは炭水化合物の集合体のため分子が大きく、酵母によってアルコール発酵をおこなうには細かく分解する必要があり、その役割を担う酵素がアミラーゼです。
麹のアミラーゼにはαアミラーゼとグルコアミラーゼがあり、それぞれ特徴が異なります。
αアミラーゼは大雑把に繋がりをカットするナタのような働きでデンプンをデキストリンに分解します。
デキストリンは水溶性のため液はサラサラになりますが、酵母によって発酵するには至りません。
一方、グルコアミラーゼはニッパーのようにデキストリンを一つ一つブドウ糖に分解する働きがあり、ようやく発酵できるようになります。
ですから麹に含まれるグルコアミラーゼの量は酒造りにとってとても重要なのです。
伝統蔵が守るもの
こういった酵素は科学技術の発展した現代でも人工的に生成することが難しく、古来より発酵は身近に役立てられてきました。
酒だけでなく、味噌、醤油、酢など多くの伝統的食文化は、今もなお微生物による発酵によって支えられています。
また、微生物によって生成されるものは酵素だけでなく、アミノ酸など旨味成分も含まれ、複雑な味わいを生みだしているのです。
「昔からの方式で日本酒を醸す事には全て理由があります。」小林専務はそうおっしゃいます。
その理由には、人工的に再現が難しい反応や科学的に解明されていない神秘的なものも含まれると思います。
前の記事で紹介した和釜の蒸気の温度がボイラーの温度と微妙に違うなど、特に麹造りにはそういった未知のメカニズムが多い気がします。
ですから酒の味を厳密に守るには、伝統的手法が欠かせないということになるのです。
「鳳凰美田ならではの風を感じたり、造り手の空気や香りのする日本酒を醸してゆきたい。」そうおっしゃる言葉には、伝統を守る強い思いが溢れています。